No,186 Study✏️ 「SST(Social Skill Training)を学ぶにあたっての論考」

 いきなりだけど、現在の臨床について書きたいと思う。だいぶいきなりだけど(笑)

 今の臨床スタイルは個人的に結構気に入っている。と、今のスタイルがどういうものなのかについて語る前に、なぜ今この記事を書こうと思ったのかということについて簡単に説明しておきたい。

 

 

 今現在、自分は精神科病院に臨床心理士として勤務している。ここでの勤務は比較的緩やかな時間の中でゆったりとした臨床に臨めていると思う(とはいっても数年前に比べたらとてつもなく忙しくなっているけれども)。基本的には不満はないのであるが、課題はたくさんある。今回、その課題の一つに取り組むにあたり、自分自身の臨床が変わってしまうのではないか?という危惧からそのアンカーとしてこの記事を残しておこうと思った次第である。  

 

 では、課題とは何か。当院の取り組みの一つとしてソーシャルスキルトレーニング(以下、SST)のプログラムが存在する。SSTとは、その名の通り社会的な技術を訓練すること、つまりコミュニケーションであるとか日常生活で発生する対人関係をうまくやってのける技術などを訓練して克服するといったものである。これは臨床心理学の分野で生み出され発展したものである。しかしこのプログラム、当院では臨床心理士が一切関わっていない。主に実施してくださっているのは認定講師の資格を持った看護師さんであるのだが、なぜか協力体制となっておらずバラバラの状態で行われているのだ。入職した時からこの点は課題として意識していたのであるが、あまりにも関わりをもたない現状には違和感を感じるし、関わることにより患者さんはもとよりスタッフが受ける恩恵は計り知れないと思うのである。  

 

 続いて、SSTプログラムになぜ心理士が関わらないのか?について記述し、なぜ恩恵は計り知れないと思うのか?について述べることとする。そもそも、臨床心理士は“トレーニング”といった言葉が好きではないという問題がある(笑)。トレーニングというと、負担をかけてよりよくなるといったイメージや、できる人ができない人に指導するといったイメージが先行する。こういうイメージに臨床心理士は敏感であるし、敏感でないといけない。この点は、“現在の臨床スタイルが気に入っている”という最初のところにつながってくる。また、SSTはシステマティックすぎる点があげられる。当院のプログラムでもそうであるのだが、基本的に臨床心理士の行う臨床はパーソンセンタードアプローチである。つまり、患者中心に物事を考えてその患者に寄り添うといった基本的立ち位置である。しかし、一つの技法に特化してしまったり、新しい技法を学ぶとこれが技法(スキル)センタードアプローチとなってしまうことがある。すなわち、技法に患者を当てはめてマッチしていないのにも関わらずその技法を駆使してしまうのである。特にシステマティックに作り上げられたSSTや認知行動療法といった類の心理療法はその落とし穴にハマりやすい。本来であれば、その患者のパーソナリティ特性や社会的な困難、悩みに合わせて技法は選択されるべきなのである。当院のSSTプログラムはその気があるため、心理室ではネガティブに捉えられていると理解している。これは現在のSSTプログラムの問題点である。  

 

 つづいて心理士室の問題。それははっきりいうとネガティブムーヴメントに引きずられすぎであることである。今回は取り上げないが、他の心理室の課題においてもそれが多分に影響を与えている。一度ネガティブなイメージが付与されるとそれを遠ざけようとし、関わらないようにしようとする癖がある。その結果として、疑問をもち批判はするが、改善はしないという現在の状況に陥っている。早々に関わっていれば傷つかないで済んだ患者さんもいるだろうし、よりよい形で社会適応のスキルを身につけた患者さんもいることだろうに。。。一方、関わらなかったということに視点を移すと、関わりを持たなかったその理由には、おそらく関わりを持つことにより問題が大きくなるという推測が働いたためと考えている。当院の心理士の先輩方は優秀であるが(身内褒め御免)、その一つの要素として情緒的ということがあげられるかもしれない。しかし負の面として、情緒が揺さぶられると疲弊するし、お互い情緒的であれば衝突する可能性が強い。それを懸念しての能動的無関与と推測する。以上のようなことから、長年両者は相いれずにいたと考えられる。  

 

 恩恵という点についはどうであるか。認定講師の看護師さんは大変な努力をして資格をとったことであろうと思われる。しかし、やはり臨床心理士ではない。これは業界全体の問題でもあるが、ベースとなる臨床心理士の視点や姿勢、洞察力といった部分が薄い。先にものべたパーソンセンタードアプローチといったことやその場の力動、パーソナリティの理解、他技法の選択、その問題を扱うことによる正負の側面の見通し、自分と他者の関係性といったものものである。これらは臨床心理学を学び、長年に渡り指導をうけないと身につかない。これこそが臨床心理士の超高度専門性であるから。私としては他職種として勤務し、これらをすべて身に付けるのは困難であるし、身につける必要もないと思っているのであるが、他職種が心理療法の技法を使うとそういった視点が追いつかずに課題をこじらせたり、傷つけることや、追い込んでしまう結果となるのである。その点、臨床心理士が協同(リエゾン)することによりその点を補完することが可能である。また、そのような問題点をシェアすることによりスタッフ側の視点は広がるし、SSTを行うことそのものの場への影響といったものも取り扱うことができる。  

 

 そして、最後にこの記事を書こうと思い立ったことについて述べ筆を納めたい。それはすなわちSSTを自らが学ぶことにより自分の臨床が変わってしまうのではないかという危惧についてである。前述したようにSSTはシステマティックで使いやすい。それに引っ張られてしまわないかという危惧がある。悩み、戸惑い、患者さんやクライエントの想いに寄りそう臨床。今のままで良いと認め、そばにいる臨床感。常に広い視野を持ち、それでいて目の前で生じている事象を見つめるバランス感覚。そういったものが失われないか心配なのである。それは、今後新しい技法を学べば学ぶほど薄れていってしまわないか。心理テストの技術が上がれば上がるほどその結果に惑わされ盲目にならないか、不安であり恐怖ですらある。しかしながら、そういったことに臆し、新しい技術を磨かないといったことは本末転倒でもある。新しい技法を学び、受けた影響・変化を再考し、常に臨床心理士とは何かということについて振り返る姿勢が必要なのかもしれない。  

 

 

ということで、旧体制を打破し新しい風を流すためにもSSTやっていきたいと思いまぁ〜っす(๑˃̵ᴗ˂̵)

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