旅している時にニュースか何かで紹介されていて帰国したら読もうと思っていた本です。社会的なステレオタイプやスティグマについて精神科医である著者が問題提起し、精神医学的な側面から、または脳科学的側面から、または心理学的側面から解説しています。それでは、いってみましょ〜
書籍情報
まずは書籍情報から。表紙もっと綺麗な色なんですが、うまく撮影できませんでした。すみません。

・タイトル:ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る
・著者:内田舞
・出版社:文春新書
・読了日:2026年4月
・ジャンル:専門書 精神医学・心理学
書籍のより細かい情報は下記からもどうぞ




本書を手に取ったきっかけと本の印象
最初にも書いたんですが、旅の途中でネットニュースか何かで流れてきたのが知ったきっかけ。その時は、ベトナム戦争帰還兵とのやりとりの部分を切り抜かれて紹介されており、結構面白そうで帰国したら読んでみようと思っていた本の一つです。
社会的な問題やステレオタイプ、スティグマについて内田さん自身の体験を基に書かれた本です。自分はやや内田さんの社会やSNSなどへの怒りが根底にあるのかなと感じましたが、それはきっと多忙な中での執筆活動の根源的なエネルギーになっていたんじゃないかと思いました。著書紹介にもあります通り、日本人のアメリカでの医師免許最年少取得者であり、若くしてハーバード大学の准教授となるなど、ちょーエリート中のエリート!! 華やかな世界を歩んできたのかなとこれまたステレオタイプで見るわけですが、実際には日本社会から逃げ出したという意外な顔も。それは書籍をぜひ手に取って内田さん自身のストーリーも楽しんでいただけるのが良いかなと思います。
本のあらすじと概要
コロナ禍、妊婦として科学的データをもとにワクチン接種を行い、その啓発活動をしていた著者、内田舞さんが差別や偏見に苦しんだ体験から社会的なステレオタイプやスティグマについて脳科学の視点から解説しています。3人のこどもを育てる母としての立ち場もあり、母親やフェミニズム、こどもの権利擁護、アドボガシーという論調からはいかに世界が非合理的でステレオタイプやスティグマに満ち溢れているのかを改めて知ることができます。そして、そこから社会の分断やスティグマをなくすためにどうしていけば良いのか。そんなことを考えさせられる書籍です。
キーワードの説明
今回の書籍のキーワードを紹介します。
マイクロアグレッション Microaggression
政治的文化的に疎外された集団に対して日常の中で行われる何気ない言動に現れる偏見や差別に基づく見下しや侮辱、否定的な態度のこと(p20)
1970年にアメリカの精神医学者チェスターピアース(Chester M. Pierce)により提唱。日常生活の中で、特定の属性を持つ人(例えば、黒人とかアジア人とか、男性とか女性とか)に対して無意識的に行われる小さな差別や偏見を含んだ言動のこと。マイクロ(微細な)という言葉が使われているが、受け手にとっては「小さなこと」ではなく、積み重なることでメンタルヘルスに多大な影響を与えることが知られている。
見下し、否定的とまではいかないですが、本書の中で書かれていたジェンダーバイアスの例を一つ。p126
私の両親は幸い古典的なジェンダーの役割分業からは離れており、毎朝、分子生物学者の父が私の朝ごはんや学校に持って行くお弁当を作ってくれましたし、母は医師として活躍しながら、料理も手芸もうまく、おしゃれで、それと同時に進歩的な思考を行動に表していました。しかし、友人が遊びにきた時に「舞のママってお医者さんだからキャリアウーマンなんだと思ってたら、料理うまいし、マスカラをうまく塗る方法について質問してたし、可愛くてびっくりした」と言われたのをよく覚えています。
料理がうまく可愛いといった古典的な母親のイメージと、キャリアと専門性を持つ女性のイメージが、両立できないという認識が社会の中で無意識に持たれていることに気づかされる発言でした。また、父は、お弁当を作るお父さんとして称賛され、私も父のお弁当を学校に持って行くのを誇りに感じていましたが、「もしママがお弁当を作っていたら、同じように称賛されることはない」と父に言われ、自分自身が抱えていた無意識のジェンダーバイアスに気付かされ、ハッとさせられました。
典型的な主婦としての女性とキャリアウーマンといった女性像のイメージのギャップや、ご飯を作る父親は賞賛されるというジェンダーバイアスの典型です。にしても、ジェンダーバイアスはさておき、こんな父親でありたいものですな。
アドボカシー Advocacy
もともとは「擁護」や「代弁」を意味する言葉。現代社会においては、「権利を守るために声を上げ、社会や組織に働きかける活動」のこと。権利擁護とか、権利の代弁など。正確な日本語に訳するのは難しいらしい。
マムシェイミング Mom Shaming
母親の育児方針や行動に対して、周囲やSNS上の他者が批判、否定、あるいは「恥」をかかせるような言動をとること
心に響いた一節・箇所
つづいて、心に響いた一節・箇所を取り上げて書感を書きます。
承認欲求の進化論 p35
承認欲求はあって当然ということを進化論から捉え直した一節。
人間は社会的動物であり、ほとんどの場合1人では生きられません。家族という単位、友達という群れ、さらに多くの人間が集う社会、あるいは旧石器時代などにおいては部族という集合体で、複数人で協力しあって生存を維持してきた動物なので、他者との関係を築く機能は、進化の過程で生存に関わる大事なものとして発達しました。その結果、集団のリーダーや憧れの人から承認を得ること、あるいは集団内の多くの人と情報を共有できる関係にあることを、生存において有利になる「好ましいこと」と認識し、脳内で大量のドーパミンが放出されるメカニズムが出来上がったのです。このドーパミンの放出は私たちに興奮や快楽といった感情をもたらします。
最近、進化人類学が面白いなぁと思っているので、こういう話は目に止まります。承認欲求も進化の観点から考えると種の生存に有利なところがあるなと気付かされました。ここでの説明はSNSの炎上についての文脈なのですが、SNSの炎上や依存については承認欲求の影響は中心的な問題の一つとして考えられるものの、もっと複雑な要素があるんだろうなと感じています。内田さんもそれは十分承知の上でしょうが、この著書においては承認欲求のみを取り上げたということと理解しております。それにしてもSNSの炎上については、自分も一度記事を書こうと思ったのですが、めちゃくちゃ感情に揺さぶりをかけてきますよね! どこかでまとめられたらと考えております。
不安の誤作動 「生存」最優先の扁桃体〜不安が冷静な判断力を抑制する より p37
例えば、旧石器時代においては「危険な動物と遭遇したかと思ったが、実は風で木が揺れているだけだった」と、当初不安を感じたことに対して、やはり不安に思う必要はなかったと明確な答えを出せることが多かったかもしれません。しかし、現代社会の中で我々が抱くネガティブな感情、あるいは人間関係や職場環境に関しての悩みは、その人の感じ方によるところも多く、どんなに考えても「不安にに感じる必要があるのか」それとも「不安を感じなくてもいいのか」、疑問の答えが出ないことも多いのです。
これも進化人類学の話。自然界に適応して進化した機能が現代の人間社会においてさまざまなエラーを生じさせているということのひとつの例です。受験なども年単位で不安を抱え続けなくてはならない社会ですし、そのほかにも曖昧で継続した不安というのは現代の社会においては多いですよね。それって、自然じゃない異常なことなんだということに気づくと少し楽になるのかな?と思ったり。
なぜ偏見は修正されにくいのか? 「固定観念」の脳科学よりp142
なぜ「固定観念」、あるいは「無意識の偏見」というのは、「固定」であり「無意識」であり、一回形成されるとその考えを取り払いにくいかというと、それは脳の仕組みに仕掛けがあります。我々の脳は効率主義で、何か新しいことを学ぶ時には多くのエネルギーを使い、何度もやったことのある習慣化したことに関しては「考える」エネルギーの消費を節約するようにできています。
例えば、新しい職場に初めて出勤する場合には、どこの駅で降りて、どの道を曲がるのかを考えながら向かうため、脳は活発に活動しています。しかし同じ道を何度も通る毎に反復された脳内の神経回路が繋がっていき、ネットワークが増強されていく。そして増強された脳内の神経回路ネットワークは「線条体」という脳部位を通して、「考える」担当の脳部位である「前頭前野」の働きを抑制して「もうこの道については考えないでいいよ」というシグナルを送るのです。これが「習慣化」です。
たまに「今日はいつもと違う場所に行かなければならなかった」という日に、うっかり普段通りの駅で降りてしまったりすることがあるのも、「考えなくていい」という抑制シグナルが送られ、脳がオートパイロットで反復された神経回路ネットワークを使って機能しているからです。
こういった反復の末に形成される神経回路のネットワークというものは、日常生活における習慣だけでなく「考え方」においても同じなのです。社会の中で「女性はこうあるべきだ」と何度も同じメッセージを受け取ったり、「周りで目にする女性はこういう人が多い」といった反復経験が積み重なるごとに「固定観念」という「習慣」が形成され、それが反復されればされるほど増強された神経回路ネットワークが築かれ、前頭前野は「このことについては考えないでいい」という抑制のシグナルを受け取るのです。社会における偏見や差別、固定観念のほとんどが「無意識」であるのはこのためです。
脳機能から偏見やステレオタイプの維持に関する説明。脳の経済原則により固定観念が修正されない理由についてです。脳って多大なエネルギーを消費しているので、無駄なところにエネルギーを割かないようにできているんですよね。思考するとめっちゃ疲れるから意識していないと思考しなくなる。この文章を打つのも思考するから膨大なエネルギーを消費しているっていうことですよね。ニーチェが本を読む怠け者だっけな?そんなことを言っていたと思うのですが、本を読むということは本を書くということよりも思考の程度は低い、つまりエネルギー消費は少ない。だから、本を読む人は多くても書く人は少ないということを指摘していたことを思い出しました。
ちょっと話はずれましたが、固定観念や偏見を克服するためには、疲れるし大変だけど「思考することをやめない」という必要性があるんだなと思います。
議論の背景に生きたストーリーを語ることの意義
以前、第二次世界大戦末期の硫黄島での日米の戦いを、日本兵の視点で描いたクリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」を見たアメリカ人が、「敵国の日本人にも家族や彼女がいたりして、それぞれの思いで戦争を生き抜いたことを初めて行った」と答えている印象的なインタビューを見たことがあります。
それまでアメリカで見た戦争映画では、敵国の軍人たちはただ敵として描かれるだけで、それぞれの暮らしぶりや素顔が思い浮かぶことはなく、彼らの人生や物語について考えるきっかけがなかったのだと。しかし、「世界中の人々の多様な経験を描く」ことは、自国中心の歴史観の裏に隠れていた、いくつもの生きた声に触れることを可能にしてくれる。その中で単純な敵・味方の区別に留まらない歴史観が育まれるのだと思います。
アメリカやヨーロッパで核兵器に関して議論される際、私は日本人として、どうしても違和感を覚えることが少なくありません。それは、核の抑止力のような核兵器にまつわる理論や核兵器保持を正当化する政治的な背景ばかりが議論され、実際に核兵器が使用された後の人々の苦しみの悲惨さが語られないからです。
こう感じるのは、私が日本で受けた教育や、「はだしのゲン」などの漫画や、井伏鱒二の「黒い雨」などの小説、そして広島出身の祖父や親戚の実体験から、実際に核に翻弄された人々の人生を知る機会に恵まれたからでしょう。日本から世界に伝えなければならないストーリーが広く語られることを祈っています。
これはハッとさせられました。抽象的な話や経済的な話、政治的な話で核の必要性を説かれ何気なく必要だよなみたいな風潮になりがちですが、現実や生の生活のストーリー、声を忘れてはいけないと思いました。これも脳の経済原則のところから思考が止まるとテレビなどで流れてくる情報に流されてしまうんだと思います(思考せずに受け入れる)。そういう何気ない情報から違和感を感じ取り意識化する作業ってほんとに大変だし訓練が必要だし、感性が必要ですが、違和感を感じた時に立ち止まり考えることが自分自身や周りを傷つけないために、そして世界を平和にしていく上で大事なことなんだろうと思います。
メンタルヘルスへの早期介入について p234
(子育てにおいて我が子は自閉症や発達障害かもと一喜一憂することについて)こういったプロセスは自然なもので、一喜一憂を恥じる必要はありませんし、無理に修正しようとしなくてもいいのです。一喜一憂を繰り返した結果、「やっぱり困る症状が多いな」と思う経験が続いたら、診断や症状と付き合って行く決意ができてくるものなので、その時期に診察に繋げればいいのではないでしょうか。
専門家の介入を避ける必要はありません。アスリートが体力をつけるためにトレーニングを行ったり、身体的な怪我を予防するための柔軟体操やウォームアップをしたり、怪我をしてしまったらリハビリをすることを疑問に感じる人はいないでしょう。また、学力を上げるために塾に行ったり、苦手分野を克服するために家庭教師を雇う人もよくいます。身体の健康や学力と同じように、心の健康、メンタルヘルスもこどもの頃より育成していけるものなのです。
(中略)鬱々とした気分に悩まされるから、やる気が出ないから精神科に行ってみる、親子関係がうまくいっていないから、自分のセクシャリティに悩みを感じるから、あるいは不安障害やうつ病についての知識を得るためにカウンセリングに行ってみる。そんなメンタヘルスをめぐる介入はこどもだから早すぎると避ける必要はなく、むしろ私は早期教育や義務教育で心をめぐる基礎的な知識を教えてもらえたらよかったのにと思うことすらあります。
これは自分の仕事にも直結する内容。心理のカウンセリングとか相談室というとなんとなく避ける人がいまだに多いのが現実。これをなんとかするのが自分のひとつの使命かなとも思っているんですが(大仰ですが)、この例えはとてもわかりやすいし腑に落ちる感じがありました。足が痛くなったら病院に行くのと同じように心が痛くなったら精神科やカウンセリングに行く。ごく普通のことですよね。痛みに1人で耐える必要はないのに、特に日本は精神論の歴史があってか痛みに耐えろ!みたいな風潮が無意識にはまだまだあるように思います。そんな無理に耐えなくてもいいのに。。。こころの痛みがあったら悪化する前にぜひ臨床心理士・公認心理師といった専門家を頼ってください。
「遅くてもいいから止まらないこと」
(出産後に論文の執筆が遅れてしまい謝罪に行った時のこと)70代の男性の上司からかけてもらった言葉が今も忘れられません。「ゆっくりでもいいから、馬から降りないこと」が一番大事だよ。今が大変でも、とにかく止まらないこと。止まってしまうと再出発は大変だけど、今はどんなに遅いペースでもいいから、続けていれば、必ずその努力の蓄積は実る」と思いがけない言葉が返ってきました。
うん。これは純粋にいい話と思い記録として残したかっただけ。自分も止まることなく遅くてもいいから歩き続けようと思います。
まとめ:こんな人におすすめ
偏見やステレオタイプに苦しんでいる人、または疑問を感じている人に読んでほしいです。読むことで合点がいくことも多いかもしれません。また、心理士(師)を目指している人にも、世の中のステレオタイプやスティグマがどんなものであるのか、またディスコースがどういうところに潜んでいるのかということを知る上でとても役に立つ本なのではないかなと思いました。
それでは、今日はここまで! 最後までお読みいただきありがとうございました! 良い1日を!
![]()
![]()
![]()
![]()









コメント