No.340 【読書記録】遊びスイッチ、オン! 脳を活性化させ、そうぞう力を育む「遊び」の効果 スチュアート・ブラウン著

目次

書籍情報

 まずは書籍情報から

表紙

 ・タイトル:遊びスイッチ、オン! 脳を活性化させ、そうぞう力を育む「遊び」の効果
 ・著者:スチュアートブラウン(Stuart Brown,M.D.) クリストファー・ヴォーン(Christopher Vaughan) 芳賀靖史監(訳)
 ・出版社:バベルプレス
 ・読了日:2026年5月
 ・ジャンル:心理学

 書籍のより細かい情報は下記からもどうぞ

心に響いた一節・箇所

 ここからは、本文を引用しながら紹介

p46 遊びは脳を活性化させる

 有名な遊び研究の大御所ジャーク・パンクセップによれば、活発な遊びは、扁桃体(感情を司る部分)と前頭前皮質背外側部(意思を司る部分)内の脳由来神経栄養因子を選択的に活性化(つまり神経の成長を活性化)させるという。

 遊ぶという行為は脳の神経系を発達させるらしい。

p55 神経細胞の刈り込み作業における遊び

 脳には、それ自身がどのようになるべきかを示す正確な青写真がないことを考えてほしい。私たちのDNAの中に記されている情報量では、すべての神経細胞がどう繋がるかを決めるには少なすぎる。代わりに脳は、自分で脳内の回路を作るのだ。まず、多すぎるぐらいの数の神経細胞を作る。それから脳全域にわたって、神経細胞同士で莫大な数のつながりを作る。そして、DNAに書き込まれた伝達方法に従って、神経細胞が回路に信号を送るのだ。その結果、よく使われる回路は強くなり、使われないものは弱くなるか切れてしまう。

 脳の神経細胞が繋がるには乳幼児期に大量のシナプスの連携が認められ、その後にシナプスを刈り取るという形で調整が行われる。その作業に遊びが一役なっているのではないかと考えられる。遊びを奪われた猿は社会性の獲得が困難になったり、ヒトにおいても取っ組み合いをした時に相手を大怪我させてしまうといったことが起きる。

p58 遊びは脳の発達に必要なこと。遊びの欠乏。

 子どもにとって、遊びは急速な脳の発達に必要なので、遊んで得られる報酬は大きい。大人の脳はそれほど急な発達をしないので遊びをそれほど必要とせず、短期間なら遊ばずに過ごすことができる。仕事や他の責任のあめに、遊びを後回しにしてしまうことも多い。しかし、長い間遊ばずにいると、気分が落ち込む。そして前向きな気持ちを失ったり、快感を覚えなくなったり、喜びを感じ続けることができなくなる。
 寝不足と同様に遊び不足も起きるという研究がある。

 脳の発達に遊びが重要であるから、脳の発達が著しい子ども時代に大人に対してより活発な遊びが生じるというのは面白い視点。
 ここでいう、遊ばない大人というのは、どの程度の遊ばないなのだろうか?たとえば、自分が仕事をしている時にも確かに最近遊んでいないなと思うことはあるけど、仕事の中に取り入れている「遊び心」とか、たとえばお昼ご飯を自分で作るという料理(何にしようかなと考える楽しさを伴う料理)、コンビニでおやつ買おうかなというものは「遊び」には入らないのだろうか。仕事やすべきことをしている中にある「遊び」もあるように思う。

p64 遊びは代償がある行為

 遊びは代償と無縁ではない。危険な場合もある。〜。アザラシの子供の研究で、26頭のうち、22頭が、親の目の届かない場所で遊んでいて捕食動物に殺されたことを明らかにした。しかし、現実に代償があるという事実も、遊びが重要だと確信する大きな理由である。遊びには代償が伴う(それも命を失うほどの)のに動物界で一般的にみられるのであれば、遊びが存在するのはとても強力な理由があってのはずだ。代償を遥かに凌ぐ利点があるに違いないのだ。
 先に述べたように、遊びの大きな利点は、遊んだ方が賢明な対応ができるようになる、遺伝子だけに頼る場合よりも外界についてもっと多くを学べる、そして環境が変化しても適応できるようになるといった点にある。このような利点が一番効果を発揮するのは脳が最も急速に発達するとき、つまり幼若期だ。この時期が過ぎて発達のスピードが遅くなると、動物によっては、それ以後代償が利点を上回るようになる。

 論理的な展開により遊びの重要性を説いた一節。学術的にどこまで信頼にたるかは別として、確かに命を落とす危険がありつつも遊びが行われる、または進化的になくなっていないというのは機能主義的な視点からしても十分に有用な指摘であると思われる。

p138 やらされる勉強と自発的な遊び

 真に習熟し生涯忘れないものは、自分の内なる遊びの領域から生まれてくる。親や教師が無理やりやらせても、子どもは自分でできるという満足感を知ることもなければ、自分なりに何かに精通したという意識が心の奥底から湧き起こることもない。
 一流大学に入らなければいけないというプレッシャーは、親の強い臨みの場合もあれば、みんなが行くから自分も人並みにという文化的圧力、あるいは経済的に豊かでいたいからという事情から来ているのかもしれない。しかし理由はなんであっても、そのプレッシャーから、完璧な学歴を追い求めるために、多くの高校生たちは、結果的に楽しみという楽しみをすべて諦めてしまっている。〜。
 遊びを中心に据えた活動を自由に選択できるようにすることは、満足できる人生を送る一因となる。しかし、この記事から分かるように、そのことに対して正しい評価がなされていない。

 資本主義や先進国の受験戦争がまさにこれ。知識中心の詰め込み教育が遊びを奪い、主体性を奪っているのかもしれない。自分が受験勉強をしていた時は確かに遊びたいという欲求を抑え込んで頑張っていたように思う。そして、受験が終わった後「しばらくは遊ぶ」と宣言した記憶がある。遊びが奪われたとしても、それが一時のある期間のみであれば遊びのレジリエンスといったものが正常に働き、上に書いたような遊びの欠乏状態から寝溜めならぬ遊び溜めみたいな回復に向かう力が働くようにも思う。

p158 「遊び」の対極は「仕事」ではなく「〇〇」である。

 遊びの対極にあるのは仕事ではなくて、うつである。人が生まれつき持っている変化や挑戦を求める欲求は、責任感があまりにも重くのしかかりすぎると葬り去られてしまうことがある。長い目で見れば、このような人生のスパイスがかけた状態が続くと、最後には心が蝕まれていく。
 遊びと仕事は対立するどころか、むしろお互いに引き立てあっている。~。仕事は遊びとともに、二本の梁となって家を支え、頭上に天井が崩れ落ちてくるのを防ぐような役割をになっているのだ。これまで遊びは仕事の邪魔になると言われてきたが、どちらも相手がいなければうまく進まないことがわかってきた。必要なのは、遊びが持つ新鮮さと遊びがもたらすフローの感覚、そして、その瞬間に身を置くことであり、遊ぶことで元気になったり何かを発見できたりする感覚だ。同じように、仕事においても、その意義、仕事がもたらす経済的な安定、他者に貢献している手応え、社会の一員として必要とされ、受け入れられている感覚が欠かせない。さらに、ほとんどの人は、自分が「できる人間である」ことを感得する必要もある。何不自由ないほど裕福で、一生働く必要がない人でさえ、ボランティアや寄付などをして、目的意識や連帯感を培わなくてはと自覚する。
 仕事でも遊びでも自分の世界を作り上げ、新しい関係を築き、脳の神経接続や物を生み出している。この両方の領域に共通する特性、それは創造性である。〜。遊びと仕事は、その二つが本領を発揮すれば、一つに溶け合い、自分という存在も社会も、共に意味あるものにしてくれるのだ。
 私たちには、遊びたいという欲求が生物学的にプログラムされている。だからその欲求に素直に従えば、仕事を一変させることができる。遊び心を持つことで、働くことへの情熱や新鮮な気持ちを甦らせることができ、問題に対処する能力や包容力が養われ、技術の習得も速やかに進むようになる。それに遊び心は、創造力を必要とするプロセスの不可欠な要素でもある。何より大切なのは、本物の遊びは、心のうちにある欲求と願望によってもたらされるもので、これこそが仕事で満足感や喜びがいつまでも続く唯一の道筋であるということだ。長い目で見れば、遊びがないと仕事もうまく働かないのだ。

 遊びの対局にあるのは「うつ」これは意外かもしれないけど、冷静に考えれば非常に納得のいく言葉だと思う。仕事の中にあそびごころがある人の社会適応は非常に高い。お金のために仕事をするということはあるが、一方でお金のためだけに仕事をしている人はほとんどいない。そこには必ず誰かのためという視点があり、お金以外の喜びがある。その喜びの中には社会交流システムという視点があり、腹足迷走神経複合体の活性化があり、そして遊び(こごろ)があるのではないだろうか。

 以前働いていた児童相談所では、確かにそれが失われていたからこその事故だったのかもなぁとも思う。

p170 創造的な人は、勤勉でありながら怠け者

 創造性を研究してみると、創造の過程はもともと矛盾していて逆説的なので、余計神秘的に思える。クリエイティブな人たちは勤勉でありながら怠け者でもある。一心に仕事に集中できる一方で、広い視野が保てるので、対局の中でそれがどのように当てはまるのかが見えている。専門分野の知識に精通指定はいるが、既存の規範に沿わないような新しい情報でも無意識に見過ごしたりしない。〜リチャードファインマンのエピソード。想像力豊かな研究者は、想像の世界に逃避できると同時に、現実にもしっかりと足をつけている。創造的なアイデアは、異なる領域や分野のアイデアが組み合わさった形で出てくることがよくあるからだ。

 創造性には矛盾があり逆説的で、故に神秘的という一文が好き。そして、それに続く、クリエイティブな人たちは勤勉でありながら怠け者であるというのも好き。

p224 遊びは社会的信頼の基礎

 動物会で遊びに誘う合図を出すという事は社会的信頼の基礎をなすもので、社会に調和していることを示す最初の「信頼の印」である。実際、動物たちは、「これは『遊ぼうよ』という呼びかけだから、あなたを傷つけません」と伝えているのだ。さらに、動物の遊びは、ハンディを解消するように作用し、公平さをさらに高めてくれることを明らかにしている。つまり、教授の考えでは、公平さは動物の遊びに始まり、人間の健全な遊びに受け継がれ、育まれているのである。

 遊びのなかで社会性を学ぶという事はよく言われるが、遊びのに誘うという事が社会的信頼の基礎をなすものという事らしい。

まとめ:こんな人におすすめ / 読んでみての感想

 表紙やタイトルの雰囲気から一般書よりかと思ったら全然そんな事はなく、どちらかというと学術書寄りな本でした。原書の雰囲気と翻訳の雰囲気がだいぶ違う気がしました。という話はよくて、示唆に富む本だったのは間違い無いです。臨床的な「遊び」だけでなく、非臨床的な「遊び」についても概要を学ぶことができたように思います。

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