No.334 【読書記録】会話を哲学する~コミュニケーションとマニピュレーション~ 三木那由他

 こんにちは、けんたです。今回は「会話」についての書籍を読んだので、そのレビューです。我々の仕事も「会話」または「対話」がベースになってくるので、読んでいて大変おもしろい内容でした。ということで早速レビューします。

目次

書籍情報

表紙

まずは書籍の基本情報から

・タイトル:会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション
 ・著者:三木那由他
 ・出版社:光文社新書
 ・読了日:2026年4月
 ・ジャンル:専門書 哲学・心理学

 書籍のより細かい情報は下記からもどうぞ

本書を手に取ったきっかけと本の印象

 この本がなぜ家にあったのかは、、、不明です(笑 何かをきっかけに気になって購入したんだと思いますが、いつ購入したのか、なぜこの本を知ったのか、今となってはわかりません。「会話」をテーマにした本ですので、仕事関係で知ったんだと思います。

 読んだ印象です。コミュニケーションは聞き慣れた語ですが、マニピュレーション。。。とは?という感じでしたが、漫画やアニメなどのやり取りを通して説明してくれているので、割と面白く読むことができました。また、日々の何気ないコミュニケーションも分析するとそういう約束の上に成り立っているのか。ということを学ぶことができ、自分の仕事をする上でも新しい知見を得ることができたように思います。

本のあらすじと概要

 一貫して「コミュニケーション」と「マニピュレーション」という2点から会話を分析している書籍です。何気ない会話も哲学的な視点に基づいて分析していくと、会話やコミュニケーションは「話し手と聞き手との間で約束事をつくりあげていくもの」という現象であると著者は述べています。また、聞き慣れないマニピュレーションという言葉ですが、さらに複雑な会話の現象として、表面的なコミュニケーション(言葉でのやり取り)ではなく、裏の意図として暗に相手を操る「マニピュレーション」としてのやりとりもあります。この二つを具体的な場面を設定して解説している書籍です。

 具体的な内容は次に回します。

キーワードの説明

 簡単に今回の書籍におけるキーワードを紹介します。ここで紹介するキーワードは辞書的な意味だったり一般的な意味とは異なる可能性があることに留意ください。

会話 conversation

 会話とは、一枚岩の営みではなく、その中にいくつものことなる営みが含まれている集合体。〜。少なくともそれには「コミュニケーション」と「マニピュレーション」がある。p3

コミュニケーション communication

 コミュニケーションとは、話し手と聞き手のやり取りにより2人の間で約束事を作り上げていくこと。

 例えば、恋愛に関する会話で、話者Aが「私はCさんはいい人だと思うな」と言い、話者Bが「そうだよね。Cさんは素敵だよね」と言った場合、この両者の間には、「Cさんはいい人である」という約束事が形成され、次の会話は「Cさんはいい人」という前提の上に話が積み重なっていくという感じです。

 この例だと、話者Aが「私はCさんはいい人だと思うな」といい、話者Bが「そうだよね。Cさんは素敵だよね」と言ったのち、さらに話者Aが「Cさんはあんなダメな人と付き合わない方がいいよ」と発話したらおかしなことになります。これがつまり話し手と聞き手で約束を作り上げていくコミュニケーションという捉え方です。(p24を一部改変)

マニピュレーション manipulation

 発言を通じて、話してが聞き手の心理や行動を操ろうとする営みのこと。必ずしも悪意を持って操ろうとするものではなく、相手の心理や行動に影響を与えようとして何かを発言しているものを指す。p30

 例えば、話者Aが「Cさんいいと思うけどな、付き合っちゃえば。あの人よく働くし、誠実そうだし」とBさんにいうことにより、AさんがBさんに「Cさんと付き合うことは良いことだ」と思わせようとしているやり取りは、マニピュレーションにあたるようです。

心に響いた一節・箇所

 ということで、いつものように心に響いた箇所を抜き出して、それについて所感を書く形で紹介します。

嘘とは発した言葉による約束事に生じた責任の反故である p63

 これは、会話による約束事、コミュニケーションとはどういうものなのか?をより深く説明する為に「嘘」とは何か?を説明されているところなのですが、面白い考え方だったので紹介です。

やりとり

 A:これから映画に行かない?
 B:明日テストなんだよね
 A:そっか。じゃあまた今度にしよう 
 Bは「明日テストなんだよね」

 と言ったことで、<BはBが映画に行けないと思っている>ということを2人の間の約束事にしょうとしていると考えられます。〜中略。
 この後のBの行動にかついて考えてみます。このやりとりがあった後でBが特にテスト勉強をするでもなく遊んでいたり、別の人と映画に行っているのをみたりしたら、Aはきっと非難するでしょうし、Bさんは非難されて仕方のないことをしたと言えそうです。Bは、自分は映画には行けないと思っているという約束事に従わないとならないわけですから、要するに映画に行く余裕があるような振る舞いをすべきではないのです。
 こうしたかたちで約束事に反する振る舞いは、会話においてしばしば非難されるためか、わざわざ特別な名前を用意され、独自のカテゴリーの悪徳だとされています。すなわち、「嘘」と呼ばれる行為です。
 細かなことですが、私は「嘘はいけないことだから、話し手は自分の言ったことが嘘にならないように振る舞わないとならない」という当たり前のことを言っているのではありません。話は逆で、「話し手がコミュニケーションをした以上、話し手は自分の行ったコミュニケーションに応じた責任を負うことになり、この責任に反するような振る舞いが「うそ」と呼ばれている」と言っているのです。言い換えると、あくまでコミュニケーションにとってもたらされる約束事がまずあって、そうした約束事から派生的に現れてくる現象のひとつが嘘なのだと言っているわけです。〜中略。
 ともあれ、話し手はコミュニケーション後にこうした責任を引き受けることになり、約束事を破れば「嘘つき」と呼ばれることになります。

 長い引用すみません。この後の二つもそうですが、言葉を説明したり、ストーリーが話に入ってくると長く引用する必要が出てきて、長くなってます(笑

 このAとBとのやりとりは、なかなか絶妙な引用だなとまず思いました。誰しもが過去の経験として持っていそうだし、特に児童期・思春期のやりとりの失敗というか、喧嘩の原因になるコミュニケーションはこういうやりとりが多い印象があります。嘘って、単に嘘をつく。ではなく、コミュニケーションが前提にあり、そのコミュニケーションに答えた際に責任を負うという前提があるということ、そしてその責任を反故にする振る舞いが嘘になるというのは面白いですね。
 この後のマニピュレーションでも出てくるのですが、コミュニケーション(表面的な言語的なやりとりと約束事)をしなければ、そこに責任は生じないから責任を負う義務やリスクは無くなるということですよね。そして、やぶへびも似たようなやり取りかもしれませんが、言ってしまった故にその言葉に責任が生じ対応せざるを得ないみたいなこともあれば、人生経験が豊富になってくると、責任を負いたくないから言わないと判断することもあれば、責任を負いたくないから言わないけど人を動かしたい(マニピュレーション)という高度な会話が生まれるということなのかな?と思いました。

 故に、本音と建前といったことも生じ、人の会話はより複雑になっていくんですね。

「なんでも話して。でも聞かないけど。」伝わらないからこその語り p137

 “「聞かないけどね」の安心”という項で取り上げられていた内容です。性的マイノリティの方がカミングアウトをするというシーンでの分析。

 たすくという高校生の男の子が、ゲイ向けのポルノ動画をみているとクラスメイトに知られたことから物語が始まります。たすくくんはゲイなのですが、そのことを周りに知られることを非常に恐れていて、ポルノ動画の件を持ち出された時に咄嗟に自分はゲイではないと否定し、「バカじゃねーのホモなんて。きもいわそんなの」とまで言ってしまいます。『しまなみ誰そ彼(たそがれ)』
 〜中略。こういうのって本当に苦しいですよね。ただ単に自分の姿を隠すというだけでなく、わざわざ自分たちを「気持ち悪い」などと言ってけなすことで、周りの人に「私はあなたたちの仲間側にいるのですよ」というアピールをしてしまうわけなのですが、その言葉は結果的に自分に向かってしまうので、自分で自分の存在を否定することになってしまう。それが積もり積もるとだんだんと本当に「私みたいなのは存在してはいけないのではないか」みたいな気持ちにとらわれたりします。
 たすくくんも、周りにバレてしまったという恐怖と、自分で自分を否定してしまう気持ちに囚われて、飛び降り自殺をしようとしてしまいます。けれど、そこで「誰かさん」という呼ばれる招待のわからない人に出会います。「誰かさん」自身もアセクシュアル(性的欲求をいだかない性的マイノリティの一つ)、たすくくんは「誰かさん」との関わりをとおして少しずつ自分自身を受け入れていきます。
 この「誰かさん」の特異な会話の仕方を紹介します。以下は、飛び降り自殺をしようとしていたたすくくんが「誰かさん」に出会い、その後を追って長い階段を登った後の場面です。

 誰かさん:登り慣れてないね
 たすく:春に下の街に越してきたので
 誰かさん:なんでも話して。聞かないけど。
 たすく:えっ。
 誰かさん:聞かないけどね。食べたら帰るから。

 この「聞かないけど」が大事なところです。「誰かさん」は苦しんでいるひとのもとに現れては、「なんでも話して。聞かないけど」と毎回のようにいうのですね。これを聞いたたすくくんは、激しく緊張しながらも打ち明けます。

 たすく:だれにも言えない・・・秘密があるんです。「違う」って言えばいいだけなのに、自分が言われて一番傷つく言葉を使ってまで、その秘密を守ろうとした。(中略)。

 「誰かさん」は明らかに聞こえるし、理解もできるはずの発言について「聞かないけど」と言うのですね。これ自体が一個のコミュニケーションです。「誰かさん」が「聞かないけど」と言って、その発言をたすくくんが受け入れた時、2人の間では、「誰かさん」は自分の話を聞かないと思っているという約束事が発生します。

 これ不思議なやりとりですが、妙に納得できるし、「聞かない安心感」というのも確かにあるなという感じがします。ただ、それってなんなんだろうとも思います。うちに留まっていた燻っていたものを筋肉運動を伴う声として発生させる、そしてそこにでも確かに「誰かさん」という「人」が居るということはきっと大事だったのでしょう。人に向かって話すということの大切さというか、そこに人がいることが本質的に何か必要なんだと思いました。

 私は仕事柄、人の話をいかに聴くかということを日頃から意識しているのですが、こういう「聞かない安心感」というのも大変興味深いです。

マイノリティは同じ条件の元では知識の主体としての能力をマジョリティに比べて疑われやすくなる傾向があるp199

 マイノリティは同じ条件では能力を低く見積もられる傾向があるようです。これもなかなか目から鱗だったので、ちょっと長い説明になりますが、紹介します。

 最後に考えたいのは、コミュニケーションでうまく約束事が形成されていないということがあらわになり、それに関して相互調整を試みたものの、それにもかかわらず結局その調整に失敗し、いずれの人も譲らなかった場合に何が起こるか、です。(中略)
 次のやりとりは、タイからの留学生(アッチャラーさん)と客との会話です。

 客:唐揚げ弁当15個。急いで!
 アッチャラー:唐揚げ弁当15個でーす。
 客:・・・。(携帯がなって出る)あ、センパイ。今頼んでます、唐揚げ弁当。え・・・カレー弁当だっけ?
 アッチャラー:唐揚げ弁当でーす(出来上がった弁当を差し出す)。
 客:え?おれ、カレーって言わなかった?
 アッチャラー:唐揚げでーす
 客:言ったろ、カレーって。変えろよ、カレー弁当に
  *高橋留美子「高橋留美子劇場」より

 露骨に客の方が約束事を破っている状態ですね。「唐揚げ弁当15個。急いで」という発言をアッチャラーさんが受け取った時点で、ふたりの間には「客は自分が唐揚げ弁当を求めていると思っている」のような約束事が形成されいたはずです。(中略)。それなのに、「おれ、カレーって言わなかった?」と言っているわけです。(中略)
 問題は客に自分の非を認める気がないと言うことです。すると、この客は一体どのように振る舞うのでしょうか?続く場面を見てみましょう。
 
 店長:あ、あの、なにか?
 客:この女が注文間違えたんだよ
 店長:え・・・しかし・・・
 アッチャラー:唐揚げでーす。
 客:ふざけんなよー。この女、ガイジンじゃねーかよ!こいつが日本語間違えたの!

 この2人がどのような約束事を形成していたのかすり合わせはできませんでした。客は「客はカレー弁当を求めている」という約束事を形成していたとし、アッチャラーさんにそれに従うように求めています。アッチャラーさんは「客は唐揚げ弁当を求めている」という約束事を形成していたとし、客にそれに従うように求めています。この例だと、客が露骨に嘘をついていて、読者もそれを知っているので、厳密にはコミュニケーションにおいてどのような約束事が形成されたのかという点で両者の考えに齟齬が見られると言うわけではありません。客も自分が約束事に反することを言っているのはわかっているはずです。ただ、ここで注目すべきは、話が平行線になるとわかった後、客が店長に向かって文句を言っていると言うことです。これは、「この女が、注文を間違えたんだよ」と言うことで、客は自分とアッチャラーさんとのコミュニケーションについて店長にコミュニケートしているわけです。「客とアッチャラーのコミュニケーションにおいて、アッチャラーがそこで形成されたはずの約束事に違反した」という約束事を店長との間に作ろうとしているのですね。
 なぜそのようなことをするのでしょう?これは、その約束事が店長との間に形成されたらどうなるのか?と言うことを考えるとわかります。店長の方が強い権力を持っていますから、店長がそこでその約束事の形成を受け入れたなら、アッチャラーさんは少なくともその場ではそれに従うことになるでしょう。客はアッチャラーさんとのすり合わせの代わりに、アッチャラーさんとのコミュニケーションが如何なるものであったかを周囲の人にコミュニケートすることで、当人同士のすり合わせを抜きにして、アッチャラーさんとのコミュニケーションでどういった約束事が形成されたのかを決定していこうとしているわけです。
 ここで、「この女、ガイジンじゃねーかよ!こいつが日本語間違えたの」という発言が出てくることは示唆的です。ミランダ・フリッカーという哲学者の本があります。この中で、フリッカーは、社会的マイノリティはそのマイノリティ性ゆえに同じ条件のもとでは知識の主体としての能力をマジョリティに比べて疑われやすくなる傾向があるという議論を展開しています。
 客は、まさにこれを利用としていると考えられます。アッチャラーさんは実際にはこの時点で注文を理解するには全く問題がない程度に日本語を運用しています。でも、アッチャラーさんは外国人です。客からすれば、日本人である自分と外国人であるアッチャラーさんを比べてどちらの言い分を信用するかと問い詰めたら、自分の側が優位になると考えたのでしょう。

 マジョリティとマイノリティだけでなく、力の優劣でも同じようなことが起きる気がします。例えば、大人とこどもだとすると、こどもの意見のほうが意見が疑われやすくなる気がしますし、医師と患者ということだと患者の発言よりも医師の発言の方が力を持つような気がします。そして、こういう流れでその発言が正しいのにもかかわらず疑われた側の人間は強い屈辱と怒りを感じ、さらにそれを発散する場がないということです。このアッチャラーさんも相手の都合の良いように操作され、さらに自分の能力を疑われるという屈辱を感じたと思うと胸が苦しくなる感じが伝わってきます。

 こういった現象が何気ない日常の中に大小あれどたくさん隠されているんだろうと思います。学校現場や医療現場、カウンセリングでのやり取りでもこういうことはあるし、こどもとの関わりの中でも往々にして起きるので、誰の訴えであれ誠実に聴くことや語りを対等に扱い耳を傾けることが大切なんだろうと改めて思った次第です。

まとめ:こんな人におすすめしたい

 我々のような聴くことを仕事にしている人や、会話の構造などに興味がある人は面白いと思います。アニメなどの馴染みが深いところから引用してくれているので、馴染みもありますし、ここのシーンって分析するとこういうやりとりが隠されていたんだ!という新しい発見がある本だと思いました。著者の引用も何気なーく引用されて説明されていますが、たぶん相当塾考して選択されているんじゃないかと思いました。絶妙な引用がたくさんされているので、それも好きな人には面白いと思える箇所かもしれません。

 なんか、あまりいい感じにまとめられなかった気がしますが、やりながらアップデートしていこうと思います。

 それでは、良い1日を!

 

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