No,70 Books &Study「死生学2 〜死と他界が照らす生〜」
No,70 Books &Study「死生学2 〜死と他界が照らす生〜」

No,70 Books &Study「死生学2 〜死と他界が照らす生〜」

さて、まじめな感じの記事です(^_^.)

興味のない方はスルーでお願いします<m(__)m

 

死生学2 ~死と他界が照らす生~


*死生学2
https://www.amazon.co.jp/dp/4130141228/ref=pd_lpo_sbs_dp_ss_3?pf_rd_p=187205609&pf_rd_s=lpo-top-stripe&pf_rd_t=201&pf_rd_i=4130141236&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_r=X0ZM189RATSJGXA7CH5D

 

を読んでの小論です😊

やってみて思ったんですが、ブログに小論はあわないなぁ〜と。。。

 

まぁ〜、試行錯誤ということでとりあえず投稿です(・ε・)

 

 

意味ある生とはなにか?  〜 現代的価値観への警鐘 〜

 現在は、経済に貢献するものが最大の価値があるとされ、その見返りであるお金を持っていることがそれへの貢献の証明とされる。そして、お金を生まないものは価値が低いものとして扱われる価値観が資本主義の形である。小学校に限らず大学の講義ですら「それは何の役に立つのですか?」といった短絡的な価値観が、なにを学ぶかの選択基準やモチベーションとなっており、役に立たないものは学ぶに値しないという扱いであるというのが現状である。したがって、如何に生き、死んでいくのか?を考えることは、すべてのものに平等に訪れる死について考えることであり、黙っていても訪れることに対して考える時間を使うことは、現代社会の価値観において無駄の如き価値のないものであると捉えられがちであろう。
 このようなことを考える間に、投資や株の知識をいれた方が生産性がある、あるいは将来への投資として英会話に時間とお金を費やすという考えが今の社会である。しかし、これが組織という規模になったとき、そこには人を人として扱わない、いわゆるブラック企業というような形で出現する。経済的な利益を追及するうえで、所属する個人個人は何も考えずに働いてくれる方が生産性があがると考え、道具の様に扱う方が効率が良いと考えるのである(実際には異なるのだが)。また、教育現場もそのような価値観に支配され、学習塾に負けない様に教育内容が改正され、如何に経済発展に寄与する人間を作るかが主題となっている。
 真に価値があるのは経済に寄与するかな否かなのであろうか?ということを今一度問い直すことは昨今の社会を生きるものであるが故に重要である。確かに経済や金銭が大事であることは認めるが、あまりにもそれ以外のものの価値が低下してしまってはいないだろうか。本来の教育は、換金性の高さを求めさせるものではなく、自己実現を達成するためのカイロスとしてのありかた、さらにはアリストテレスがいうようなエウダイモニアな人間となれるか?といったことが真の命題である。
 人々が生活の中で感じているであろう漠然とした「ただ生きるよりも大事なことがある」という感覚。自分の人生はこれでいいのだろうか?と考える契機はきっと普段の中にもあるのだと思う。自身の人生が意義あるものであると真に感じ、自分の人生を想像しながら歩んでいるという感覚は、短絡的な価値観によってはもたらされない。また、それは人間存在に関する単一の思想や教典により到達されるのでもない。あくまで自分自身が生き甲斐のあると思う物語を自己選択的に、且つ能動的に達成していく。その生き方そのものによってのみ実感できるのである。さらに、それは個一人ではなし得ないことも付け加えておく。絶えず自分という存在を他者との幾多もの相互関係を通すなかにおいてのみ浮き上がってくるものなのである。

 

 

 

 

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